人は愛を求めているがうまくいかない。その構造を明らかにします。
どうも、みちたろうです。
<合わせて読みたい>
trinity-3d-cross.hatenablog.jp
trinity-3d-cross.hatenablog.jp
人は何をしてても愛を求めいてる
愛って人間における一番根源的な部分に関わりますよね。
人って、誰かに愛されることを求める生き物なんだと思います。
それがたとえ口では「愛なんてどうでもいい!」なんて言っていたとしても。
愛されたいから人は
仕事を頑張るし、
オシャレもするし、
お金を稼ぐし、
恋愛もするし、、、
いろいろですよね。
一見、そんなことをしたら愛されない!って頭では分かっていることもやってしまいます。
例えば、自慢とか。
自慢することで、「すごい!」って褒められて、愛を人は感じたいんです。
自慢して愛を感じることに味をしめると、それを聞いている人の感情を無視して自慢をしてしまう時もあります。
それをされた周りの人は、逆に自分はすごくないって言われているような気がして、「自慢はうざい!」って思ったりもしますよね。
愛を感じたいから、愛を感じられないような状況を引き起こした自慢する人を遠ざけてしまいます。
共通することは、どっちもその言動の動機は「愛されたい」なんです。
そう考えると、自慢する人も、自慢されてうざがる人も愛を求めているだけ。
かわいいもんだ。
だけど、すれ違っている。
やめられない無意識の行動にこそ人の条件付けが分かる
人はそれぞれ愛に対する条件付けを持っています。(これを愛のアトラクションと言います。)
こうだったら、自分は愛されていると感じる(もしくは、感じれない)。
人から褒められると愛されていると感じる傾向が強い人は、例えば自慢をしたりします。
自慢されると逆に自分がその部分が出来ないことが強調されて、自分への愛を感じれなくなる人もいます。そういう条件付けを持っているんです。
人は条件付けを持っていて、それに無意識に反応して生きているんです。
怖いくらい無意識に生きています。もう、それが当たり前でしょ?っていう感じです。
自慢をしたくて、したくてたまらない人は、周りからうざがられても自慢をしてしまいます。そうやって、愛を感じようとするんです。
褒めてくれて、愛を感じれる時もあれば、失敗してしまう時もあります。
周りの人を見て、なんでこの人こんなことやっちゃうのかな?っていう人は、ある特定の条件付けが強い人なんです。不思議なんですけど、なぜかそれをやってしまいます。
なぜこの人はそれをしてしまうのかを考えると、その人のことが理解出来て、「結局愛されたいんだな」っていうことが分かります。
その上で言いたいのは、もうこんな繰り返しはやめにしませんか?ということです。
条件付けの愛を求めてもうまくいかないことは明白
周りからこれされたら、自分以外の条件がこうなったらとか、それで愛を感じることを人類は数千年やってきました。
でも、それはたまにうまくいく時もあるけど、ほぼ報われません。悲しいことに。
あなたの人生を振り返ってみてどうですか?
愛を求めて意識的、無意識的にした行動って報われた確率低くないですか?
逆に高かったら、こんな批判だらけの世の中になりませんよ(笑)
みんな愛を求めてもダメだった、だから、人を批判することで相対的に自分を上げて愛を感じようとしているんです。
だから、何かを外に求めるんじゃなくて、自分が持っている条件を外していくことが大切なんです。
あなたはどんな条件付けを持っていますか?
僕はコミュニケーション能力が高くて、面白かったり、人を楽しませられる人が愛される人なんだと思っていました。
もちろん、これはある種の真実だとは思います。
だから、人とうまく話せなかったりすると落ち込むなんてこともありました。
「楽しませられなかったらどうしよう」なんて、人と会うことが怖くなった時もあります。
ここまでいくと、その条件付けってもう外した方がいいんじゃない?ってなります。
視野を広げれば、そんなにベラベラ話さない寡黙な人でも人間関係がうまくいっていたりもします。
今は、そこまで人と会うことがストレスではなくなりました。条件を持っていると自分で自分を縛るので窮屈ですが、本当に楽になったと思います。
トリニティでの無条件化が聞いているんだと思います。
また、FEFOGで他の人の無条件化などもできるので、興味のある方は無料のセッションをお申し込みください。
では、また!
役に立ったと思ったらクリックしてね!
↓↓↓
YouTubeだともっと面白い話しています!
↓↓↓
役に立ったなと思ったら「B!ブックマーク」で記事を保存できますよ!
↓↓↓