本当に神のことを知りたいのならこの記事を読んでみて欲しい。
どうも、みちたろうです。
<目次>
- 人の数だけ神がいるってどうなの?
- 神は人間の祈りを望んでいるのか?
- 人間の観点から神を観ると捉えると本当の神は観えない
- 神は人間が信じなくても無条件に存在している
- 本当に神の観点だと言えるのか?と聞く前に
人の数だけ神がいるってどうなの?
ちょっと、聞きたくない話をするかもしれません。
だけど、本当に神のことを知りたいのなら、この先を自己責任で読み進めてみてください。
僕がマリアトリニティ創始者の渡邉聡さんに出会って、本当に感動したのは「神の観点から神を観る」という教えを教えてもらったことです。
生まれてこの方、そんなことを教えてくれた人は周りには一切いませんでした。
大抵、人間が捉える神ってこんなんじゃないですか?
「神は私を救ってくれる!」
「神は私に良くしてくれる!利益がある!」
「神は私にとって恐ろしい存在だ!人間を支配する存在だ!」
「神には感謝しないといけない!」
捉え方は人それぞれで、十人十色の神がいると思います。
神は人間の祈りを望んでいるのか?
それが「神の観点から神を観る」ってことを教わって、僕の中からそういう思いは消し飛びました。
例えば、神に祈ってご利益をもらうという関係性で神と関わっている人は多いと思います。初詣で神社にいくとかはそうですね。多くの日本人はこういう関係性かと思います。
でもね、それを神の観点から観た時、神は人間からそうやって祈られることを望んでいるんだろうか?って考えたことありますか?
神がこの世と私たち人間を創造しました。その創造した存在の観点に立つなら、自分がわざわざ創った被造物から「お願いします!幸運を与えてください!」っていう祈りを求めるでしょうか?
これは祈りを否定したり、祈ってはいけないという話ではありません。神の観点から観たらそれはどうなのか?それが人間を創造した目的と照らし合わせるとどうなのか?という話をしています。
神が自分の被造物から祈られることを目的として、僕たち人間を創造したとするなら、なんて暇な神なんだろうって思えませんか?(笑)
いや、笑い事じゃなく、そんなことを目的として僕たち人間を創造した神なんて信じられないなって僕は思いました。
人間の観点から神を観ると捉えると本当の神は観えない
人間に幸運を与えること、人間を救うこと、、、、それらも同じです。
人間を救うことを目的とするなら、最初からそんな救いを求める必要ない人間を創造すれば良いのにって思えませんか?
わざわざ救いが必要な人間を創造して、救いを求められて、そして人間を救うという自作自演をしている神ってどう思いますか?それを目的に私たちは創造されたのでしょうか?
こんな理論もあります。この世に悪があるのは悪魔のせいだ!神は悪魔と戦うが、打ち勝っていない。だからこの世に悪があるんだとか。
いや、悪魔と戦って拮抗する神って何?この世の全てを創造したなら、悪魔を創造したのも神なはずでしょ?悪魔だって、みんな知らないだけで神の目的を成就させるための役割があってその役割をこなしているだけに過ぎないんです。
最初に書いた「神は私に良くしてくれる!利益がある!」とかの人間が捉えがちな神の存在。
それらに共通することは、自分ありきで神を捉えているということです。
「私にとって神は〇〇だ。」
そうやって神を捉えている限り、本当の神は見えないって思えませんか?
それは神自身を捉えているのではなく、神と自分の関係性だけを観ているだけに過ぎないんです。
自分と神との関係だけを捉えている限り、本当の神は分かりません。
それは人間を例にとっても同じです。
以前の記事でも書きました。
↓↓↓
trinity-3d-cross.hatenablog.jp
他人から見る自分と、自分自身が見る自分には大きな違いがあります。
友達に「自分ってどんな人?」って聞いてみてください。
いろんな回答が返ってきます。つまり、それは人によってたくさんの自分がいるということになります。そして、「あれ?それ本当に僕?」っていう感想を抱くでしょう。
記事でも書いているように、それらは他人から見た自分の「偶像」です。
それと同じです。人によっていろいろ神は捉えられるでしょう。
しかし、神を自分との関係性、自分基準、自分ありきで捉えている限り、それはきっと神自身ではなく「神の偶像」になってしまっているかもしれません。
神は人間が信じなくても無条件に存在している
神はこんなちっぽけな人間が存在しようがしまいが、人間が信じようが信じまいが、祈ろうが祈らまいが関係なく、無条件に存在しています。
何が本当の神なのか?人によっていろいろ捉えられるかもしれませんが神は一つの存在です。
神自身の観点から観た神以外に、本当の神と言えるのでしょうか?
神の観点から神を観る、そこに人間の観点や人間と神の関係性が発動しないって分かりますか?
そして「神の観点から神を観る」という途方もない真理を伝えられるのは神以外にいると思いますか?
僕は、神の観点から観た神こそが本当の神だと考えます。
本当に神の観点だと言えるのか?と聞く前に
ここまで読んで、それが本当に神の観点を観ているとどうして言えるのか?と問う人がいるかもしれません。
しかし、そういう人に言いたいのは、「そもそもあなたは神の観点を観ようとしたんですか?」ということです。
それもせずにただ神に祈るってどうなんでしょうか?
「本当に神のことを知りたいのなら、神のことは神に聞きなさい」
そして、神の観点から神を観なさい。
僕は本当に、こんな胸に迫る真理を伝えられて感動しているし、マリアトリニティを信じるに値するものだと思っています。
では、また!
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