この創られた世界で生きる意味/マリアトリニティ

日本に生まれて何不自由なく過ごして、だけど満たされない何かがある。何のために生きているのかが分かるときっと人生が変わるはずです。

ピノキオに学ぶ救済とは?

前回のブログで、信じているものを疑うべきだという話をしました。

その記事はこちら▶︎https://trinity-3d-cross.hatenablog.jp/entry/2018/05/29/081600

 

 

その理由は、その信じたものからどんなに素晴らしいものを得たとしても、あなたは死んでしまうから。

 

 

その信じるものが、どんなに救済を説こうが、最後の結末が死なら、やっぱり救済されないんだ。

 

 

死後の世界で救済される?

じゃあ、なんで肉体を持って生まれたんだろう?

死後救済されたとしても、肉体はいつまでも救済されないんだ。

 

 

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この3次元世界にわざわざ生まれて、そこで救済されるとはどういうことなんだろう?

 

 

逆に考えて、なぜ今まで救済されなかったのだろう?

それはゲームの世界にいたから。僕たちは本当は実在していないキャラクターに過ぎない。

 

 

約2500年前、ブッダはそれを「諸行無常」という教えで説いた。

それは、過去から未来へ、原因があって、結果があり、森羅万象には普遍的に実在しているものはないという教え。これまで、「在る」と思ってたけど、それは勘違いなんだということ。

 

 

普遍的に実在するものとはなんだろう?

僕たち人間が普遍的に実在するとはどういうことだろう?

 

 

その答えは人間が無限の命を持つということ。

そして、その無限の命は闇、罪、孤独にまみれたものではなく、無条件の愛で満たさていなければなりません。

参考記事▶︎https://trinity-3d-cross.hatenablog.jp/entry/2018/05/21/091700

 

 

僕たちは今までピノキオみたいな存在でした🤥

偽物で、実在はしていませんでした。

それがピノキオが人形から、人間に変わったように、非実在から実在へと変わる時が救済なのです。

 

 

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その本当の実在となった肉体こそが神のカラダです。無限の命と無条件の愛はセットです。そして、これからの時代は、その無条件の愛に目覚めていくことが必要となるのです。

 

 

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詳しくはこちら▶︎https://trinity-3d-cross.hatenablog.jp/entry/bodyloveofgod

あなたは信じているものを疑うべきだ。

「死」について考える。

 

 

それは誰にも必ず訪れるもの。

 

 

それについてどれくらい人が思うのだろう?

 

 

たぶん、そんなことを忘れて生きている。

「死ぬ」ってどういうことだろう?

それは自分がどんな人生を生きようが、それが全て無くなるということ。

 

 

人生はゲームに例えられることが多いから、ここでもそれを採用してみる。

 

 

あなたはこの地球に生まれました。

初期設定はいろいろあって、ゲームの中で様々な経験(データ)を積み、楽しいこと、苦しいことあれど、なんとか生きてきました。

 

 

しかし、必ずどこかの時点でゲームオーバー(人生の終わり)がやってきます。

そうなると、それまでどんなに頑張ってセーブデータを蓄積していようと、強制的にリセットされるのです。

 

 

なんか悲しくないですか?

どんなに頑張ろうが、全てなかったことになるなんて。大切な友人、恋人、家族、思い出が全てなくなってしまう。

 

 

「いやいや、ゲームの中には自分が生きていた証が残っているから。」

 

 

それはそうかもしれないけど、あなたは二度とそのセーブデータにアクセスすることができない、それが「死」ということです。

 

 

アクセスできないなら、それはないものと同じじゃないかな?

 

 

「死」は平等だ。

誰にでも必ず訪れるもの。

 

 

その上で、タイトルに戻る。

「あなたは信じているものを疑うべきだ」

 

 

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あなたは人生がうまくいってほしいから、様々なものを信じていることがある。

 

 

例えば、スピリチュアル、宗教、自己啓発、その教えに沿えば、より良い人生を送れるはずだ。

 

 

だけど、それによって得られるものは全てゲームの中の報酬に過ぎない。

 

 

それって、どれほどの意味があるんだろう?

 

 

もちろん、始まってしまったゲームを後先考えず、精一杯楽しもうという考えもある。

 

 

しかし、虚しくないだろうか?

少なくとも、僕はゲームをしてて虚しくなったことがある。

中学生の頃に、ゲームをしててふと「こんなことをしてなんになるんだろう?」って思った。

 

 

仮初めの世界で頑張ることが無駄な気がした。(元々ゲームって楽しむためにあるものだけれどもw)

 

 

実際の人生もそうではないだろうか?

 

 

ゲームのように、この世の全ては本当は実在がないものではないだろうか?

 

 

だとしたら、あなたはこの世界でどう頑張ろうと、必ず人生がリセットされる。

 

 

そして、リセットされるにもかかわらず、そんなことには一切触れず、ゲームの攻略だけ教えるスピリチュアル、宗教、自己啓発ってなんなんだろう?

 

 

あなたは信じているものを疑うべきだ(笑)

 

 

え?死後の世界があるもん?だから、頑張るって?その話は長くなるから、また今度。

 

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trinity-3d-cross.hatenablog.jp

 

スピリチュアルも宗教も自己啓発も同じ? 全人類は宗教家だ(笑)

例えば、引き寄せの法則では良い気分になると、良いことが起きると言う。

 

例えば、宗教ではこういうツボを買ったら、運が向上すると言う。

 

例えば、自己啓発では、こういうことをすると、人生がうまくいくと言う。

 

 

こうやって見ると、スピリチュアルも宗教も自己啓発も同じもののように見える。

 

 

そこに

〇〇をすれば、人生が向上する

という図式が見えるから。

 

 

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その図式を支えるために、スピリチュアルでは何かの法則、メソッド、エネルギーがあったり、宗教では神や教祖がいて、自己啓発では過去に自己実現した人、成功哲学がある。

 

 

何を信仰の対象としているかだけで、そこでしていることの本質は同じだ。

 

 

そう考えると、スピリチュアルとか自己啓発で「いや、これは宗教じゃなくてですねー」なんて言っていることに違和感を感じたりする。

 

 

神や教祖じゃなくて、宇宙の法則だったり、エネルギーだったり、メソッド、成功哲学を信じてるんでしょ?

 

 

〇〇法則教、〇〇エネルギー教、〇〇メソッド教という感じの宗教っぽくない?(笑)

 

 

もちろん

「神じゃないんだから、宗教じゃない!」

って言い切られたら、返す言葉もないんですが。。。

 

 

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でも、そう言い切るところにブロックを感じる。ブロック解除をしている、ブロック解除教のあなたなら、まずそのブロックを解除してみてはいかが?(笑)

 

 

まぁ、そんな冗談は置いといて。

 

 

人は何か支えであったり、指針であったり、すがるもの、信じるものが必要な生き物なのかもしれない。

 

 

それがたとえ非科学的でも、他の人は信じてなくても、それが自分にとって信じるに値するなら、人はそれを信じて生きている。

 

 

その信じる媒体がスピリチュアルか、自己啓発か、宗教という違いに過ぎない。

そして、それらである必要すらない。スピリチュアルや自己啓発や宗教でもない、親やお金を信じて生きている人もいるはすだ。

 

 

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あなたは何を信じて生きてますか?

親かもしれないし、自分自身かもしれないし、お金かもしれない。成功哲学かもしれないし、科学かもしれないし、宇宙の法則かもしれない。

 

 

ただ言えるのは、あなたはそれを神とした宗教家なんです。

 

 

だって、やってることの本質は同じでしょ?

盲信する、しないとか、猟奇的な行動とるか、とらないかとか程度の差はあるにしても。

全人類は宗教家と言えるかもしれない(笑)

 

 

そして、ここから先はあくまで仮定の話。

 

 

もし、この人生で本当にこれは神としか思えないことに出会ったとしたら、あなたは何を信じて生きますか?

 

 

それでも、親や自分自身の方を信じて生きますか?宇宙の全てを創造した存在ではなく、それによって作られた宇宙の法則や科学の方を信じますか?

 

 

要するに、創造主を信じるのか?非創造物を信じるのか?どっちですか?

それだと明らかに、創造主を信じた方がよいと感じるのは僕だけでしょうか?

 

 

あなたはどう思いますか?

 

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永遠の命なんて、ロクでもない???

<永遠の命>

 

誰しもが一度は考えたことがあること。

 

「なんで、死んじゃうの?」

 

大切な存在の死に直面して、その喪失感から生と死について考える。

 

「ずっーと、生きていればいいのに。」

「自分も死んじゃうなんていやだ。」

 

でも、日常生活に戻って、そんなことは忘れて生きている。あたかも、自分が死なないかのように、生きている。

 

それもそうだ。

 

だって、永遠の命なんか手に入らないから。

それを求めるなんて、ろくでもないから。

たとえ、手に入っても、それは幸せではないから。

 

でも、そこに希望があるとしたら・・・?

〜〜〜〜〜〜

 

僕が子どもの頃、手塚治虫の「火の鳥」がアニメ化されていた。

 

 

 

詳しくは全然覚えてないけれど、主人公が火の鳥によって永遠の命を得た話があったと記憶している。

 

 

 

主人公は何十億年も苦しみ続けていた。

たった一人の永遠の孤独。

 

 

 

そんな物語を見て、少年の僕は

「永遠の命なんて、ろくなもんじゃない。恐ろしいものだ」

と怖くなっていた。((((;゚Д゚)))))))

 

 

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永遠の命には、闇、罪、孤独がついてまわる。

永遠の命について、そんな描写をしている作品が世の中にある。

 

 

 

「なんで、私だけが死なないの?」という闇。

「死なないのは、神が自分を罰しているから?」という罪の意識。

「一人だけの孤独は耐え難いものだ」という孤独感。

 

 

 

その作品は「永遠の命を求めるなんて、バカらしいことはやめろ」と伝えているかもしれない。

 

 

 

多くの人は、そんなメッセージを日常生活で忘れてしまう。

 

 

 

だって、求めるも何も、永遠の命なんて手に入らないから。メッセージの前提が崩れている。

 

 

 

その上、手に入ったとしても、ろくなものではない。永遠の命なんて、日常生活において考慮するほどのものでもない。そんなことより、明日の仕事だ。

 

 

 

最近は医療も、コンピュータサイエンスも技術発達が目覚ましく、もしかしたら、人間は永遠に生き続けられるかもしれない、と報じられることはある。

 

 

 

一方で、生きることが辛すぎて、自殺を選ぶ人も多いことも、また事実だ。果たして永遠の命を持つことは、人間にとって幸せなのか?

 

 

 

改めて、永遠の命について考えること、

  1. 永遠の命を実現することの難易度
  2. たとえ、実現したとしても、やる価値はあるのか?

永遠の命には課題がついてまわる。ただ永遠の命を持つだけでは、そこには救いも何もない。

 

 

 

でも、もしも、人間の抱える闇、罪、孤独を全て取っ払い、無条件の愛で満たされた永遠の命があるとしたら?

 

 

 

それは、もしかしたら、求めるべき価値があって、日常生活でも意識をしてもいいかもしれないね。

 

 

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