あなたは信じているものを疑うべきだ。
「死」について考える。
それは誰にも必ず訪れるもの。
それについてどれくらい人が思うのだろう?
たぶん、そんなことを忘れて生きている。
「死ぬ」ってどういうことだろう?
それは自分がどんな人生を生きようが、それが全て無くなるということ。
人生はゲームに例えられることが多いから、ここでもそれを採用してみる。
あなたはこの地球に生まれました。
初期設定はいろいろあって、ゲームの中で様々な経験(データ)を積み、楽しいこと、苦しいことあれど、なんとか生きてきました。
しかし、必ずどこかの時点でゲームオーバー(人生の終わり)がやってきます。
そうなると、それまでどんなに頑張ってセーブデータを蓄積していようと、強制的にリセットされるのです。
なんか悲しくないですか?
どんなに頑張ろうが、全てなかったことになるなんて。大切な友人、恋人、家族、思い出が全てなくなってしまう。
「いやいや、ゲームの中には自分が生きていた証が残っているから。」
それはそうかもしれないけど、あなたは二度とそのセーブデータにアクセスすることができない、それが「死」ということです。
アクセスできないなら、それはないものと同じじゃないかな?
「死」は平等だ。
誰にでも必ず訪れるもの。
その上で、タイトルに戻る。
「あなたは信じているものを疑うべきだ」
あなたは人生がうまくいってほしいから、様々なものを信じていることがある。
例えば、スピリチュアル、宗教、自己啓発、その教えに沿えば、より良い人生を送れるはずだ。
だけど、それによって得られるものは全てゲームの中の報酬に過ぎない。
それって、どれほどの意味があるんだろう?
もちろん、始まってしまったゲームを後先考えず、精一杯楽しもうという考えもある。
しかし、虚しくないだろうか?
少なくとも、僕はゲームをしてて虚しくなったことがある。
中学生の頃に、ゲームをしててふと「こんなことをしてなんになるんだろう?」って思った。
仮初めの世界で頑張ることが無駄な気がした。(元々ゲームって楽しむためにあるものだけれどもw)
実際の人生もそうではないだろうか?
ゲームのように、この世の全ては本当は実在がないものではないだろうか?
だとしたら、あなたはこの世界でどう頑張ろうと、必ず人生がリセットされる。
そして、リセットされるにもかかわらず、そんなことには一切触れず、ゲームの攻略だけ教えるスピリチュアル、宗教、自己啓発ってなんなんだろう?
あなたは信じているものを疑うべきだ(笑)
え?死後の世界があるもん?だから、頑張るって?その話は長くなるから、また今度。
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