この創られた世界で生きる意味/マリアトリニティ

日本に生まれて何不自由なく過ごして、だけど満たされない何かがある。何のために生きているのかが分かるときっと人生が変わるはずです。

あなたは信じているものを疑うべきだ。

「死」について考える。

 

 

それは誰にも必ず訪れるもの。

 

 

それについてどれくらい人が思うのだろう?

 

 

たぶん、そんなことを忘れて生きている。

「死ぬ」ってどういうことだろう?

それは自分がどんな人生を生きようが、それが全て無くなるということ。

 

 

人生はゲームに例えられることが多いから、ここでもそれを採用してみる。

 

 

あなたはこの地球に生まれました。

初期設定はいろいろあって、ゲームの中で様々な経験(データ)を積み、楽しいこと、苦しいことあれど、なんとか生きてきました。

 

 

しかし、必ずどこかの時点でゲームオーバー(人生の終わり)がやってきます。

そうなると、それまでどんなに頑張ってセーブデータを蓄積していようと、強制的にリセットされるのです。

 

 

なんか悲しくないですか?

どんなに頑張ろうが、全てなかったことになるなんて。大切な友人、恋人、家族、思い出が全てなくなってしまう。

 

 

「いやいや、ゲームの中には自分が生きていた証が残っているから。」

 

 

それはそうかもしれないけど、あなたは二度とそのセーブデータにアクセスすることができない、それが「死」ということです。

 

 

アクセスできないなら、それはないものと同じじゃないかな?

 

 

「死」は平等だ。

誰にでも必ず訪れるもの。

 

 

その上で、タイトルに戻る。

「あなたは信じているものを疑うべきだ」

 

 

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あなたは人生がうまくいってほしいから、様々なものを信じていることがある。

 

 

例えば、スピリチュアル、宗教、自己啓発、その教えに沿えば、より良い人生を送れるはずだ。

 

 

だけど、それによって得られるものは全てゲームの中の報酬に過ぎない。

 

 

それって、どれほどの意味があるんだろう?

 

 

もちろん、始まってしまったゲームを後先考えず、精一杯楽しもうという考えもある。

 

 

しかし、虚しくないだろうか?

少なくとも、僕はゲームをしてて虚しくなったことがある。

中学生の頃に、ゲームをしててふと「こんなことをしてなんになるんだろう?」って思った。

 

 

仮初めの世界で頑張ることが無駄な気がした。(元々ゲームって楽しむためにあるものだけれどもw)

 

 

実際の人生もそうではないだろうか?

 

 

ゲームのように、この世の全ては本当は実在がないものではないだろうか?

 

 

だとしたら、あなたはこの世界でどう頑張ろうと、必ず人生がリセットされる。

 

 

そして、リセットされるにもかかわらず、そんなことには一切触れず、ゲームの攻略だけ教えるスピリチュアル、宗教、自己啓発ってなんなんだろう?

 

 

あなたは信じているものを疑うべきだ(笑)

 

 

え?死後の世界があるもん?だから、頑張るって?その話は長くなるから、また今度。

 

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